境内案内図
❶~⓲をクリックすると、詳細をご覧いただけます。
❶ 御本殿
御祭神をお祀りする社殿です。
当社と縁のある源義光の子孫である秋田藩主佐竹氏がご造営に着手し、嘉永7年(1854)に上棟、明治8年(1875)に竣工しました。
総欅造りで数知れぬ大小の彫刻が随所に見られ、特に正面にある向拝柱に彫られた「昇り龍・降り龍」は荘厳で、左甚五郎の13代目後藤与五郎の作です。
昭和57年12月10日足立区登録文化財指定
❷ 拝殿
神事を行う社殿です。
棟札に寛永元年(1624)9月上棟と記されています。
本殿と合わせて権現造になっており、入母屋造の屋根は茅葺から瓦葺を経て現在は銅板葺となっています。
平成4年1月14日足立区登録文化財指定
❸ 参集殿
主に参拝者の待合所として使用しています。
❹ 神札所
様々なお守りやお札・ご朱印などを頒布しています。
❺ 神楽殿
お正月や酉の市ではお囃子等が奉納されます。
❻ 稲荷社
蒼稲魂命
五穀豊穣・商売繁盛を祈り、二月に初午祭を行っています。
油揚げ・豆腐・甘酒が神饌物として崇敬者より献饌され、一対の幟がたてられます。
以前は子供等が宵宮に太鼓を打ち、「お稲荷講、萬年講、お稲荷さんのお祭りだ、油げ銭をくれ、しだいの餅は、いいとことっちゃ、食うとこねい、でいじんだ(大尽のこと)、でいじんだ、百万両の身上だ」と称えて町内を廻り、集ったお金で菓子を買い子どもたちに分け、稲荷様には油揚をあげる風習がありました。
❼ 市杵嶌姫神祠
市杵嶌姫命
日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱。市(いち)を司る神として奉斎しました。
絶世の美女とされ、商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、海の神として信仰されています。
❽ 合祠の社
辨天祠 辨財天
財福・水の神様
疫神社 素盞雄命
疫病除けの神様
胡籙天神社 淤母陀流命 旧号第六天神
国歌安泰・子孫繁栄の神様
白山社 伊弉那美命
縁結び・夫婦円満の神様
❾ 三峯社
伊弉那岐命 伊奘那美命
火防、盗難除の神様です。
以前は三峯講という講中があり、毎年三峯山に代参が行われていました。
❿ 古札納所
三の鳥居に入って左側に、古札納所を設けております。
神社から授与されたお守り・お札はこちらに御返納ください。
11月から3月頃までは神楽殿の北側でお預かりします。
⓫ カ石(一三石)
力石はさし石ともいい、江戸時代の庶民の娯楽の1つとして神社の境内等で村の若衆や遠近の力自慢が集って盛んに行われました。
力石には種類があり、差し上げられる程の小さな石、腰に負う重さのある石、手で持ち上げる石、寝ている石を起こすように扱う石、肩に担ぐ石などがあります。
昭和の初期ごろの話として、毛長堀の艀(はしけ)の荷の積み替えに毎日舎人、伊興、遊馬、谷塚方面からの人が堰(せき)に集まり、帰りにこの力石で力を競ったそうです。
古くは持ち上げた記念として姓名や重量などをその石に刻んで神社に奉納するならわしがありました。
昭和59年11月14日足立区登録文化財登録
⓬ 疱瘡社
黒江神
天然痘除の神様をお祀りする祠です。
種痘が普及するまで人々は天然痘を大変恐れ、各家庭にも疱瘡神を神棚にお祀りして、正月に赤い幣帛をあげてお祈りしたものだそうです。
⓭ 手水舎
明治24年(1819)11月酉日竣工。
以前は台風に飛ばされない様に屋根裏に1トン程の石が乗っていました。
手水鉢には江戸町火消「は組」の名が入っています。
⓮ 三の鳥居
明治38年(1905)9月酉日 建立 奉納者 千ケ崎甚泰 殿・千ケ崎源四 殿
⓯ 二の鳥居
天保14年(1843)11月吉日建立 奉納者 江戸下谷池ノ端茅町 駿河屋治兵衞 殿
⓰ 神輿庫
平成五年十二月完成。
総重量八百キロとも言われている神輿が納められています。
⓱ 水神社・庭園
神速秋津彦命 速秋津姫命 水波能賣命
古くは綾瀬川近くにお祀りされていたが、綾瀬川改修により享保年間(1741~1744)に当社境内に遷され、明治42年(1909年)に再建された社が現在に残っています。
綾瀬川の水上安全の守護神として船頭・船主に信仰が篤く、また治水を祈ってお祀りされました。
⓲ 一の鳥居
安永7年(1778)2月吉日建立 奉納者 石工平右衛門 殿